Table of Contents
前書き
プライベートでなんやかんやあり、ここ最近とても忙しくさせていただいておりまして。そこまで切羽詰まっているわけでもないのですが、なんやかんやで映画を観る余裕がなんとなく無くなってきているここ最近でした。気になっていた『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』や『ホウセンカ』もふと気がつけば終映し、『テレビの中に入りたい』もどうしても観る時間を取ることができず、終映まで指をくわえて見守るしかない始末、という体たらくです。
が、私の最推しであるベネディクト・カンバーバッチ主演の本作だけは、それだけはなんとしてでもスクリーンで観なければなるまい、と、なんとか時間を作り、今日、観てきました。
https://x.com/tkwsnb/status/1982974516746956942
prelusion
私は英国訛りが大好きです。
ここで言う英国訛りとはアクセントとかそういった話ではなく、語彙にウィットを効かせた言葉遊びのような悪口の応酬のことです。ブリティッシュジョークというやつです……多分違う。
こういう「人間の生き方に物申す」系の映画はどこか説教臭くなるのであまり好きになれません。
「結婚は素晴らしいものです。何物にも代えがたい幸福です」
「結婚は最低である。まさに人生の墓場だ」
「子育てはすべからく両親が務めるべきである」
「離婚なんて以ての外だ。一度結ばれたからには死が二人を分かつまで共にあるべきである」
「互いの人生のために離婚という選択肢も大いに選ぶべきである」
……どのような意見であれ、書くだけで蕁麻疹が出るほどの説教に嫌気が差してきますね。
本作もね、あるんですよ。そういう「ありきたりな説教を垂れるシーン」が。でもサラッと流される。あまりにもサラッと流れてしまうので脳みそがベタつかない。とても快適。そんな説教も英国仕込みのブラックユーモアがすべてを塗りつぶしてくれる、そんな映画です。
予告編は観ましたか? だいたいあんな感じです。あの予告編をもっと過激にブラックユーモアに傾倒させたのが本作です。
『ドクター・ストレンジ』のような派手さはありません。本作の主人公であるテオはサンクタム・サンクトラムで修行をしません。ただ、ドクター・ストレンジとしてスーパーパワーを手に入れる前の、周囲を常に小馬鹿にするような調子乗りのスティーヴン・ストレンジみたいなテオは出てきます。 こちらは医者ではなく建築デザイナーですが。あのスティーヴンが好きな人はこの映画をとても気に入ってくれると思います。
想像してください。英国の封建的な閉鎖社会で自分の能力を十全に発揮できずに苛立ちを隠せない中、ひょんなことから一目惚れした女性と共に自由を求めて渡米したストレンジ先生を。そんなストレンジ先生、うまくいくと思いますか? ……どうです、なんだか面白そうでしょう? 本作、それです。
長々と書きましたが、私は本作が大好きです。他所の家の夫婦喧嘩は犬も食いませんが、私は大喜びで完食できます。ごちそうさまでした。おかわり!
……とはいえ、ですよ。どうしても考えてしまうわけです。我が家は大丈夫なのかと。妻と娘二人を抱える我が家は家庭内戦争を迎えてしまわないかと。私は、健全な夫を演じることができているだろうか、と。まぁそのへんはプライベートなアレコレがアレなので明言は避けるとして、誰かと共に生活をしている人たちはおよそ全員本作を観たほうがいいと思っています。何故って「他人と生活をする上でおよそ起こり得るほぼすべての問題」が本編で出てくるからです。ないのは不貞行為くらいかな?
他人とは自分と違う生き物です。どれだけ愛していようがそればかりは揺るぎない事実です。そして自分と違う生き物の考えていることは絶対に分からないものなのです。「こういう行動を取っているからこう考えているに違いない」「言わなくてもわかる、こいつは今こういう事を考えている」これが通じるのはよほど上手くいった熟年夫婦かMr.マリックだけです。そしてよほど上手くいった熟年夫婦でもMr.マリックでもない我々は相手の考えていることなんて分かりっこない。 この事実を割り切って考えられるかどうかは夫婦生活を長く継続させる上で結構重要なポイントだと思っています。言っていることは当たり前なのですが、思いの外忘れがちなポイントでもあります。
ところで私は京都出身です。ある程度の年数を京都で過ごしてきたので、ある程度の京都ならではな言い回しが身についています。いわゆる京言葉というやつです。そして、英国と京都は度々同じようなカテゴリに入れられます。そういう宿命にあります。
本作ではあらゆるシーンで英国訛りがでてきます。舞台がアメリカで、周りの友人も当然アメリカ人で、そこで育った子供もアメリカ思考で、そこで飛び交うウィットに富んだ口撃の応酬は冷戦を思わせるほどの迫力だったように思います。
京都出身の私からすると「そんなにハラハラするような会話かなぁ?」と疑問に思う頻度が高かったように思います。そりゃあなた、思っていることを直接ベラベラ言うのは下品ではありませんか。それを柔らかく上品にするのが京言葉ですのに。
作中では中盤あたりでアメリカ友人たちが英国訛りを真似しようとして見事に下品な空気にしてしまうシーンがあります。おそらくですが、あれが外部から見た英国訛りや京言葉のイメージなのかなと思いました。とりあえず普段と違うニュアンスにすればいい、自分達が笑えればそれでいい、そういう安直な言い変えをすれば英国訛りや京言葉になる。そう信じている人が少なからず存在しているのかなと暗澹たる気持ちにさせられました。
ここで京言葉講座を展開する予定はありませんが、これだけ。別に京都人は嫌味を言っているつもりはないんですよ。多分。直接的な表現だと下品になって聞く相手にとって失礼になってしまう場合があるのでウィットに富んだ表現になる、というだけの話なのです。要するに社交辞令です。社交辞令をまともに受け取る人はいないでしょう?「行けたら行くわ」で本当に来る人は稀です。覚えておいてください。
閑話休題。どこが本筋かはわかりませんが。
要するに『ローズ家 ~崖っぷちの夫婦~』は面白かったよ、という話でした。おわり。